自然百姓塾で子どもたちが得たもの~人は自然の一部で生かされている~

厳しい自然と向き合い感謝し、みんなのために衣・食・住などあらゆるものを生み出してきた先人たち。その生き様は“百姓”という言葉に込められています。

自然の中で仲間と共に先人たちの業(わざ)を学ぶことに挑戦しながら、老若男女問わずみんなでイチから何かを生み出す、その中で自然(じねん)と能力を目覚めさせるのが類子屋・類塾の自然(じねん)百姓塾。

 

今まで、いろんな活動をしてきましたが、今回の自然百姓塾はある意味、今年のハイライトとなる回でした!

その回の内容は、収穫した稲を脱穀し、もみすりをして玄米の状態にして実際に自分たちが食べよう!というもの。
精米も、あえて今回は、昔ながらの手作業で行うことにしました。

作業は十数名でお昼過ぎまでかかり、脱穀が完了したお米は約50㎏弱。そして、もみとりが完了して玄米のような状態にできたのはわずか、1合(150g)!

2時間以上ひたすらもみとりを粘り強く続け、正直心が折れかけるような状況でもありましたが、そのもみとりをする子どもたちの姿に感服するものがありました。

やっとのことで取れた、たった一合のお米は正直、これまで生きてきて米というものを知らなかったというほど、「おいしい」という言葉では到底表現できないほどでした!
たった一合しかないのでみんなで分けると、ほんの一口しか食べられませんでしたが、それでもおかわりをひたすらに子どもたちは求めてきました!

作業をしているときや、食べている中で子ども達から出てきた言葉とは?

「いただきます、ってなんで言うのか分かった。田植えの時はあんなに小さかった稲がこんなになるなんて!」

「昔の人達が、どれだけ大変だったが、でもそれでもお米を食べたいと思って頑張ってきたんだな」

「これまでお米は買わなければ食べられないと思っていたけど、その見方が変わった!」

子ども達が作業をしていく中で、ふと発する一つ一つの気づきが、本心からの自然や先人への深い感謝のこもった、とても価値のあるものでした!

そして、自然の一部を使わせてもらいながら、それに働きかけ、みんなで何かを生み出し、それを実際にみんなで食べる、ということの意義や価値を再確認した瞬間でした。

在、豊かさや利便性が向上することにより、お金さえ出せば何でも手に入り、与えられることが当たり前になってしまった時代。同時に、自然の恵みに対する感謝感や、先人から受け継いできたはずの能力は失われる一方。

 

しかし、百年前はほとんどの日本人が百姓であったように、我々にはその能力が眠っているはずです。

忘れがちなこの大切な感覚を自然百姓塾で呼び起こしてみませんか?

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