エネルギーが有り余っている子どもたち
先日、子どもたち数人を連れて自社農場を訪れた時のことです。
子どもたちには、普段都会では経験できない機会だと思い、自然の中で何の制限もせず、とことん遊んでもらいました。
すると、3才の息子をはじめ、特に小学生の男子たちは、「どこにそんなエネルギーがあったの?!」と大人たちが驚愕するほど、とにかく仲間さえいれば、本当に一日中、寝る直前まで、遊び、動き、観察し、探求・実験し、そして時々仕事をしていたんです!
子どもたちは本当はこんなにも満ち溢れるエネルギーを持ち合わせていたんです!
ところが普段は、学校や習い事でハコに閉じ込められ、机に座らされ、聞きたくもない話を聞かされ、役に立たない勉強を強制されるだけの空間で、大半の時間を過ごしています。
ですが、子どもたちのあり余るエネルギーは、こんな毎日で消費できるはずもありません。
行き場のなくなったこの余剰エネルギーはどこに向かっていくのでしょうか?
こんなことを考えている時、たまたま類学舎生の仕事研修に参加させてもらう機会がありました。そこで、小6の時に類学舎に入学し1年を迎える類学舎生がこんなことを口にしてくれました。
「学校ってエネルギーあり余るんですよ。それを何とかしようとすると、家で暴れたりしてしまう。それに比べて、類学舎の毎日はめちゃくちゃ充実してて、そのエネルギーを全力で発散できるのがほんとうによかった」
と。
思い返せば類学舎に通い始めた類学舎生たちの中には、学校の(理不尽な)強制圧力に押しつぶされそうになっている子も少なくなく、類学舎の中でも不安定だったり、気持ちが抑えられなくなった時には仲間に対して暴言を吐くときもあったり、逆にふさぎ込んで手が付けられないなんてことも珍しくありませんでした。
そこから1年。まだまだ課題はあるにしても、そんな生徒たちも目に見えて落ち着いたし、天邪鬼で会話が成り立たないことも多かったのに、みんなとの追求場面ではみんなの追求を前進させるために、何とか言葉を紡ぎだそうとしてくれるようにもなっていました。
ある生徒は、自分がうまく議長を勤め切れなかったという時に、反省しながらも、一緒に追求してくれた同じグループのメンバーに「今日はありがとうございました。」と感謝の言葉を伝えてくれるなど、相手にも感謝や敬意を表に出せる器も持ち始めていることにとても成長を感じました。。
遊びや、仲間との追求や、類学舎のような現実の圧力下での仕事場などで、持ち合わせたエネルギーを存分に発散・発揮できれば、子供たちは健全に、真っ当に成長していくはずです!
ですが、現代の世間や大人たちは、授業でじっとしていられないと多動症などといって発達障害扱いし、遊びよりも勉強や習い事を強いて、子どもたちの奥から湧き出るエネルギーを抑え込もうとします。
それに対して、やんちゃな子はもちろん、時に癇癪や暴力的なものとなって表れてしまう子はまだマシな方。
危険なのは、学校ではいい子と評価される、言うことを聞いているうちに、本来の活力も意欲も無くしまっている子どもたちの方です。。。
私たち大人は、子どもたちのエネルギーをみくびっているのかもしれません。
子どもたちの本来の力やエネルギーが解放された時のすごさを、体感してみませんか?